グレーゾーン金利の撤廃と総量規制の導入は、消費者の生活を守るための規定だったはずが、結果的に皮肉にもヤミ金業者の暗躍を生んでいます。
グレーゾーン金利とは
消費者金融やクレジットカードのキャッシングの金利を規制する法律が日本には二つあります。
ひとつは「出資法」です。
これは刑罰の対象となる金利を定めており、一定の金利を超過すると処罰されます。
もうひとつは「利息制限法」です。
これは民事的効力の限界となる金利を定めており、制限金利を超えた利息契約をすると、超過部分については利息契約が無効になるという法律です。
利息制限法では、年15%~20%(元本の額によって変動)を超える利息契約をしても「超過部分は無効」とされているのですが、利息制限法には罰則がないため、2007年頃までほとんど守られてこなかったことが問題でした。
1970年代には、出資法の上限金利が年109.5%であり、この金利を超えると処罰されるので、サラ金業者は出資法の上限金利以下の金利で営業していました。
多くのサラ金業者は、年利100%近くでした。
すなわち、借りた元本が一年で倍になる計算です。
サラ金規制法によって、出資法の上限金利が、段階をおって年109.5%から年73%、そして年54.75%、年40.004%に引き下げられました。
このように金利は下げられていったのですが、本来守られるべき利息制限法の制限金利(年15%~20%)との間にはまだ開きがあり、その間の金利は「グレーゾーン金利」と呼ばれていました。
グレーゾーン金利
出典:Wikipedia
貸金業者が定めた「20%~29.2%」までの金利は、利息制限法に違反しているので民事上は合法ではありませんが、出資法には違反していないので犯罪でもありません。
貸金業者は、この「抜け穴」に目をつけました。
この抜け穴がすなわち「グレーゾーン金利」なのです。
サラ金規制法が施行された以降も、グレーゾーン金利の範囲内で、サラ金やクレジット会社は営業をしていたわけです。
1983年、貸金業規制法の施行
一方で、貸金業規制法によって、それまでは誰でも貸金業ができていたのが登録制になり、無登録業者は処罰されるようになりました。
さらに、サラ金の取立て行為についてもさまざまな規制が加えられました。
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たとえば、当時の大蔵省通達で、「午後9時以降~午前8時以前の取立て」や「ドアに貼り紙をしたり、大声を上げたり、乱暴な言葉を使ったり、大勢で押しかけるなど、人を威圧したり、私生活や業務の平穏を害するような取立て」が禁止されました。
加えて、大蔵省通達で、「弁護士に債務整理を依頼した後の、多重債務者本人に対する取立て」が禁止されたので、弁護士がサラ金業者に通知を出すだけで、多重債務者本人に対する直接の取立てが止まるようになりました。
こういった立法によって、状況はある程度好転しました。
しかし、以前より下がったとはいえ、「年40.004%」という出資法の上限金利は、預貯金の金利などと比較すれば、大変高いものであることに変わりありません。
したがって、その後も多重債務者は増え続けたのです。
グレーゾーン金利の影響によるヤミ金の跋扈
グレーゾーン金利の抜け穴を利用して、大いに利益を上げていたサラ金業者大手などは、一部上場企業となり、経団連のメンバーとなっていきました。
この間、サラ金業者などに食い物にされた被害者、多重債務者が大量に発生していました。
そして彼ら多重債務者の増加をこれ幸いと、ターゲットに狙い、跋扈し始めたのが、いわゆる「ヤミ金」なのです。
もともと、無登録の貸金業者のことを「ヤミ金」と呼んでいたのですが、2000年前後の当時の闇金は、登録をした貸金業者であるにもかかわらず、出資法違反の超高金利で貸し付ける業者が一般的でした。
2000年の初めころから多重債務者の増加に伴い、闇金の被害が多発するようになりはじめました。
この当時の一番の問題は、闇金業者のような「犯罪者」である業者が検挙されないことだったのですが、2003年に、ひとつの大きな転機がありました。
山口組系五菱会系ヤミ金グループが摘発されたのです。
五菱会が摘発されたために、山口組本部も捜査され、これをきっかけに、暴力団グループが闇金から撤退を始めたのです。
ヤミ金融対策法の成立とグレーゾーン金利の撤廃
これと軌を一にして、闇金の暗躍を規制すべく司法が立ち上がりました。
ヤミ金問題に関しては、ヤミ金に対する規制と処罰を強化する「闇金融対策法」(貸金業規制法と出資法の改正法)が2003年7月25日に成立し、2004年1月1日から施行されています。
ヤミ金融対策法施行後も、多重債務者問題は深刻な社会問題であり続けたのですが、2006年6月、出資法の上限金利を引き下げてグレーゾーン金利を撤廃するとともに、年収の三分の一を超える貸し付けを禁止する、画期的な「改正貸金業法」が制定されました。
この法律は、出資法の上限金利を年20%まで引き下げるもので、この結果、利息制限法の制限金利との間にあった「グレーゾーン金利」もなくなったわけです。
また、貸金業者が利息制限法の制限金利を超えて貸し付けをすることも禁止されました。
さらに、年収の三分の一を超える貸し付けを禁止するという総量規制が導入され、過剰融資の規制が強化されることになりました。
同法は2010年6月に完全施行されましたが、その結果として象徴的なのは、サラ金大手の武富士や、商工ローン大手のSFCG(「商工ファンド」が名称変更)が倒産したことです。
いま振り返ると、2010年6月に完全施行されたことが、非常に良い結果を生んだと思われます。
というのは、翌2011年3月11日に東日本大震災と福島第一原発事故が発生したからです。
多くの被災者・被害者が避難所や仮設住宅に移ったのですが、幸い、1995年の阪神・淡路大震災の二の舞にはなりませんでした。
阪神・淡路大震災の時は、避難所や仮設住宅にサラ金やヤミ金の取立てが殺到するという事態が横行していたのです。
ところで、同法の完全施行後、違法金利を取っていたサラ金業者の数は激減しました。
法律の改正により、正規の貸金業者の金利が下がったのは良いことですが、その反面で闇金の活躍する場面が増えてきているのが皮肉な現状です。
グレーゾーン金利の撤廃と総量規制の導入、その影響
2007年頃までは、ほぼすべての貸金業者(サラ金、信販会社含む)は、利息制限法には違反するが、出資法には違反しないグレーゾーン金利(20%~29.2%)の範囲内で、「違法だが犯罪ではない」貸し付けをしていました。
しかし、2006年の貸金業改正により、金利の上限が「20%」までに引き下げられることになり、グレーゾーン金利は無くなることになりました。
貸金業者への規制強化の機運が高まる中、グレーゾーン金利が撤廃されたのですが、同時に債務者からの過払い金返還請求がサラ金業者などに殺到し、経営状態は一気に悪化していきます。
これらの状況を背景に、サラ金業者の経営統合・吸収合併の加速、大手サラ金業者の倒産など、貸金業界の再編・淘汰が進みました。
さらに、2010年に完全施行された「総量規制の導入」により、借り手の年収の三分の一を超える借入がある場合、新たな借入ができなくなるという規定が施行されました。
これに伴い、貸金業者の融資に関する審査基準は厳しくなっていき、貸金業者の「貸し渋り」も加速しました。
そして、それまでお金を借りることが出来ていた多重債務者たちは、簡単に融資を受けることができなくなってしまいました。
「グレーゾーン金利撤廃」も「総量規制の導入」も、消費者保護を目的とした規定であり、多重債務者の出現を防止するための規定であるにもかかわらず、逆に彼らの首を絞める皮肉な結果を呼んでしまったのです。
これら規定の直撃を受けたのは、
- 多重債務者
- 自己破産者(債務整理者)
- 事業者(個人事業主)
- ブラックリストに入っている人
- 生活保護受給者・年金受給者
- 主婦
- 高齢者
などの人たちです。
彼らは正規の貸金業者の融資を受けられなくなってしまったことから、そのままヤミ金のターゲットとされてしまい、闇金業者のさらなる活躍を招くことになってしまったのです。
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